統合失調症の共感仮説(2)

長くなってしまったので続きです.

 

統合失調症という病気は遺伝的寄与が大きく,この病気を発症してしまったら,平均としては次世代に遺伝子を受け継ぐ確率が小さくなる. 

 

だとしたら,

 

統合失調症に関連るすリスク遺伝子がHomo sapiensの長い歴史の中で淘汰されなかったのはなぜか.

 

ここからは全くの私見で特段の根拠もなく,かつ,当事者の方々を傷つける意図は全くないとお断りをして続けますが...

 

私はその原因は

 

Homo sapiensが集団で行動し,共通の信念のもとに協力することにより,繁栄してきたことと関連しているのではないか

 

と考えています.

 

前項で「統合失調症は幻聴とそれによる被害妄想を主徴とする」と述べました.統合失調症の方はよく「テレビでのこの話題は自分に向けたメッセージだ」とか「犬が吠えたから,僕は殺される」「ラジオの電波が私の脳に入ってくる」など,通常関係ないと思われる出来事に特別な意味づけを行います(関係妄想).この現実を超えて過剰に認知する能力,一見荒唐無稽なのでしょうが,その能力がもう少しマイルドだったらどうでしょうか.

人間が密林で狩をしていた頃,木の葉がわずかに風に揺れた音を聞いて,「象がきた!」と周囲に知らせることだったとしたら.

地面から染み出すわずかん湿気を感じて水脈があると言ったり,

ある種の流行病が穢れた家畜から感染すると主張することだったら...

そのような人を集団として抱えていることは,環境からの情報に敏感に反応するということであり,生存競争を勝ち抜くために有利だったのではないでしょうか.

 

少し話を進めて...

農業革命が起きてHomo sapiens集団の人口がある程度増えると,生物としての利害を超えた範囲の人(つまり自分の遺伝子を後世に残すことに関わる血縁を超えた他人)と行動をともにする必要が生まれます.利害関係を共有しない集団は私利私慾にまみれ崩壊するというのが世の常ですので,集団をまとめ,利害を共有するためのシステムを築いた集団は他集団に対して,有利になります.

その非血縁者間の利害共有のために生まれたシステムこそ宗教ではないか.宗教家の神の啓示を受ける能力,及び宗教家の説法を身に迫る体験として共感する能力は自然淘汰の結果,現在のHomo sapiensにある程度備わっているのでないか.そしてその遺伝的基盤こそが統合失調症のリスク遺伝子なのではないか,というのがここでの仮説です(根拠はないですが個人のブログですので許してください).

それら超自然的なものを他者からのメッセージとして直感する能力(共感と言ってもいいかもしれません)はHomo sapiensの標準装備なので,ヒトは芸術に耽溺し,論理的な説明よりも直感を好み,カルトにハマり...など,自分も含めて一見合理的な行動をする人が絶えない事の一つの説明なのかもしれません.

 

ヒトの思考というのはあてにならず,一見合理的に考えているように見えても,条件反射的に環境からの刺激に反射的に反応しているだけで,あとづけで辻褄を合わせているだけという主張があります.いわゆる自由意思はあるのかという哲学の命題ですが,突き詰めて考えるとなかなか興味深いものがありバカにできません.

 

話が散逸してきたのでこの辺で終わりますが,現実を超えて過剰に直感し他者の意志を読み取る(共感)能力はHomo sapiensに備わっており,それらの表象に現れている意味以上のものを読み取る傾向を作る遺伝子を通常より多く持っていると統合失調症という疾患として現れてしまうのではないか,という仮説でした.